--.--.-- *--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2008.10.30 *Thu

丹下先生

迷ったときには先達の言葉を読めとは恩師の言葉。
そこで、今日は丹下先生の作品集を読みふけりました。

丹下先生はどのような思いでこのマスタープランを描いたのか

tangeplan
special thanks to Mr.KOP & Prof. Fujimori

丹下先生は19450806とほぼ時を同じくして両親をなくしています。
父親は病気で母親は空襲です。大東亜記念造営で大政翼賛体制下で華々しくデビューした
若き建築家も敗戦と両親との死別のなかで戦争の無慈悲さ無力感を感じていたようです。
その中で、平和記念聖堂コンペのあとに、ピースセンターのコンペで一等を取るわけですが
大東亜記念造営から平和記念聖堂にいたるいわゆる広場的なスケール感から
一気に都市軸を描く鳥瞰的なスケール感を操るマスターアーキテクトへ脱皮をした
そのターニングポイントがこのピースセンターの都市計画です。

このコンペの中で丹下先生は「慰霊」よりも「未来的な平和の祈念」を志向する
文章を寄せています。丹下先生は明らかに「静かな慰霊の場所」だけでなく
もっと先を見据えた都市の復興に即した新しい平和祈念の場所を提案しています。
相生通りの北側、軍需施設のならんでいた一帯をスポーツと子供のための施設の
場所としたのはその思いの表れでしょう。ここにはKOP師匠も目を向けられていました。

結局相生通りの北の計画は実現されず、平和公園だけに丹下先生の線は残された
わけですが、この丹下先生の北側計画を復活させたいという気持ちも解らないわけでは
ありません。この復活の思いが跡地コンペの審査員たちを公園重視の方向へ
導いたのではないかと、そんな推測もできます。

ただ、丹下先生が思いをこめて線を引いた時代と今の時代はいろいろな意味で
違っています。
2大大国によるイデオロギー対立の時代から、多くの多角的な火種を抱えた時代へ
0からスタートし復興特需にわいた時代から、先行きの見えない金融不況の時代へ
モダニズムが最ももてはやされた時代からECO・LOHASの環境重視の時代へ
様々な位相で時代はシフトしています。

きっとこの時代にあって、丹下先生の案をそのまま再現しようとする、そんな動きを
丹下先生が知ったら、逆に叱責されるのではないか、そんな風に感じます。
あのとき、丹下先生が考えた未来志向の平和祈念の場を、我々は現代の広島に
置き換えて新しい未来志向の定義づけをこの計画にこめなければいけないのでは?
そのなかでやっぱり例えば子供が楽しめる場所とか、争いを忘れて健全に汗をかける
スポーツの場とか、不変のテーマを踏襲しながら、なにか新しい「軸線」を描ける
そういう計画にしたいなと、考えた一日でした。


master8
スポンサーサイト
CATEGORY : コラム | THEME : サッカー | GENRE : スポーツ

COMMENT

管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2008/10/30(木) 10:48:15 | | # [Edit
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2008/10/31(金) 18:32:32 | | # [Edit

Comment Form


秘密にする
 

TRACKBACK

TrackBack List


プロフィール

スタ熊

Author:スタ熊



最新記事



最新コメント



人生が輝き出す名言集



presented by 地球の名言



月別アーカイブ



検索フォーム



リンク

このブログをリンクに追加する



QRコード

QRコード



08
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
Copyright © All For Hiroshima応援ブログ All Rights Reserved.
テンプレート配布者: サリイ  ・・・  素材: bee  ・・・ 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。